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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)569号 判決

控訴人

斉藤のぶ

控訴人

斉藤泉

控訴人

斉藤貢

控訴人

(旧姓斉藤)

宮前みゑ子

右控訴人四名訴訟代理人

佐々木一彦

佐々木茂

被控訴人

斉藤進

右訴訟代理人

穂積始

小林優公

主文

一  原判決を左のとおり変更する。

(一)  控訴人斉藤のぶは被控訴人に対し、原判決添付別紙目録(一)記載の不動産について、前橋地方法務局万場出張所昭和四四年八月一六日受付第八三五号、同年八月一〇日付贈与による所有権移転登記について、被控訴人の持分を九分の一、その余を控訴人のぶの持分とする更正登記手続をせよ。

(二)  控訴人斉藤泉は被控訴人に対し、原判決添付別紙目録(二)記載の各不動産について、同地方法務局同出張所同年八月一五日受付第八三四号、同年八月一〇日付贈与による所有権移転登記について、被控訴人の持分を九分の一、その余を控訴人泉の持分とする更正登記手続をせよ。

(三)  控訴人斉藤貢は被控訴人に対し、原判決添付別紙目録(三)記載の各不動産について、同地方法務局同出張所同年八月一五日受付第八三三号、同年八月一〇日付贈与による所有権移転登記について、被控訴人の持分を九分の一、その余を控訴人貢の持分とする更正登記手続をせよ。

(四)  控訴人宮前みえ子は被控訴人に対し、原判決添付別紙目録(四)記載の各不動産について同地方法務局同出張所同年八月一五日受付第八三二号、同年八月一〇日付贈与による所有権移転登記について、被控訴人の持分を九分の一、その余を控訴人みえ子の持分とする更正登記手続をせよ。

(五)被控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じこれを九分し、その一を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件全不動産が亡斉藤熙〓の遺産であること、右同人が昭和四一年五月二七日死亡したこと、その相続人は妻のさよ、子の被控訴人ら及び斉藤公一であること、本件不動産全部につき被控訴人のために単独相続の所有権移転登記が経由されたこと(〈証拠〉によれば右登記日は昭四三年三月二七日と認められる)、右不動産につき被控訴人主張の如き控訴人らに対する各贈与を原因とする所有権移転登記がなされていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二被控訴人は、亡熙〓の相続人らは昭和四一年六月上旬同人の遺産である本件不動産につきその全部を被控訴人単独に取得させる旨の遺産分割協議をなし、右協議によつて被控訴人は本件不動産全部の所有権を取得したものであると主張するので判断する。

(一)  証人黒沢房雄、同黒沢なつ子、同斉藤弥生(以上いずれも原審)及び被控訴人本人(原、当審)は右主張に副う供述をするが(もつとも右協議が被控訴人の主張するごとく訴外亡熙〓の死亡直後である昭和四一年六月上旬になされたと適確に供述するものは殆どなく、おおむね右訴外人の一周忌に当る同四二年五、六月頃相続人らによつてその旨の話し合いがなされたと供述している。)、右事実を否定する被控訴人のぶ(原、当審)、同泉、証人斉藤さよ(以上当審)の各供述並びに右協議の存在を認めるに足る文書が作成された形跡のないこと(甲第八六、第八八、第九〇、第九二及び第九三号証については後述)に照らしたやすく採用することはできない。

もつとも証人〈省略〉の各供述に弁論の全趣旨によれば、被控訴人、控訴人らの属する本件斉藤家は群馬県の山間部における代々の農家であつて被控訴人はその長男として出生し、出生後斉藤家を離れたことのなく、中学卒業後は家業に従事していたこと(従つて、通常ならば斉藤家の跡取りとして亡熙〓の遺産、とりわけ不動産の全部を単独で相続する旨の相続人間の話し合いがあつても不自然ではないこと)、控訴人のぶは亡父の死亡当時すでに嫁いでいたが、斉藤家の長子(同女は昭和七年生れ、被控訴人は同九年生れ)としてまたその嫁ぎ先が斉藤家のある上野村と近隣の万場町であるところから、同村の助役までなつた父亡き後の斉藤家の発展や、後に残された亡父の妻さよ及び祖母の老後を案じ、そのためには長男である被控訴人にしつかりして貰うべく、同人を守り立てるに如かずと考え、その一方法として亡父の遺産全部の被控訴人への承継をも考えたふしもあることが認められるが、右事情の存することのみをもつてしては、未だ前記証人斉藤弥生、被控訴人本人等の供述の信用性を裏付けるに足る証拠とはなし難い。

(二)  ところで、本件不動産については、昭和四三年三月二七日被控訴人の単独相続の登記がなされていることは前記のとおりであり、〈証拠〉の存在と原、当審における証人黒沢利雄、被控訴人の各供述によれば、右登記手続は、被控訴人が司法書士黒沢利雄から交付を受けた用紙に控訴人ら全相続人の作成名義の記名捺印のあるいわゆる「特別受益による相続分皆無証明書」(以下単に「証明書」という。)によつてなされたものであることが認められる。

右証明書たる甲第八六(のぶ分)、第八八(泉分)、第九〇(貢分)、第九二(みえ子、公一分、さよ代理)、第九三(さよ分)号証は、いずれも「私は被相続人の生存中生計の資本として相続分を越える財産の贈与を受けているので被相続人の死亡に因り開始した相続については相続する相続分の存しないことを証明します。」という同文のものであることが右各甲号証自体によつて明らかである。そして右のようないわゆる特別受益による相続分皆無証明書は、いわゆる事実上の相続放棄を登記面に具現するための方法として、登記技術上利用されることのあることは公知のところに属する。

そこで右甲号各証の作成経過及びその成否について判断するに、被控訴人(原、当審)は、概ね、「遺産分割協議の結果、自分が家を継ぎ、遺産全部を貰うことになつたので、姉の被控訴人のぶの案内で、同人の夫英夫の友人で司法書士の黒沢利雄の事務所(万場町所在)に赴き、同人に対し被控訴人の単独相続登記をすることを依頼し、同人から前記の文言のある証明書用紙を数枚渡されたので、そのうちの何枚かを被控訴人のぶに渡し、同控訴人本人分及び弟の控訴人泉及び同貢(当時同泉は東京在住、同貢は群馬県多野郡新町在住)の右書面への押印及び印鑑証明のとりまとめ方を依頼したところ、控訴人のぶから同控訴人、同泉、同貢の押印のある証明書と右三名の印鑑証明書の交付を受けた。他方同居の母さよに依頼して、同人から、同人の押印のある証明書と控訴人みえ子及び前記公一の法定代理人親権者としてさよの押印のある証明書並びにさよの印鑑証明書を受取つたので、これらを取りまとめて、前記黒沢司法書士に送り届け、同人において各証明書に作成日付、作成名義人の住所、氏名を記入した上、前記被控訴人の単独相続の登記申請手続をなした。」旨供述する。

しかしながら被控訴人のぶ(原、当審)は、「被控訴人から、『父が生前小金沢某に対し、上野村乙父の中村部落所在の畑四畝歩を売却し、その旨の登記をする必要があるから、印鑑と印鑑証明が必要である、控訴人泉と同貢の分もとりまとめて欲しい。』といわれ、これに応じ自己及び右弟二人の印鑑と印鑑証明書を揃えて被控訴人に交付したことがある。被控訴人の主張する証明書の作成については全く関知しないところであり、印鑑と印鑑証明書は冒用されたものである。」との趣旨の供述をなし、控訴人泉本人(当審)もこれに副う供述をなすほか、証人斉藤さよ(当審)は、当時被控訴人と同居していたもので、さよ名義の前記証明書に押捺されている印鑑は見たこともなく、自分の印鑑ではないと供述しており、亡熙〓が生前小金沢某に対し土地を売却し、当時その登記手続をする必要があつたことは、前掲被控訴人本人の供述によつても認められるところであるから、これらの供述は無下に排斥できず、また控訴人泉、同貢、斉藤さよの各印鑑証明書の発行日が前記(一)に判示の熙〓の一周忌より前の日付になつていることを斟酌すれば、前掲被控訴本人の供述は遽かに採用できず、たとい〈証拠〉の各作成名義人である控訴人ら印影が同人らの印鑑によつて顕出されたことは当事者間に争いがないにしても、右甲号証を含む前記各証明書が各作成名義人においてその内容を了解の上作成した成立の真正なものと推認することは困難である。他に右証明書たる前記甲号証の成立を認めるに足る証拠はない。従つて右証明書の存在をもつて、被控訴人主張の遺産分割協議の事実を認めることはできない。

なお、被控訴本人の当審供述によれば、被控訴人は父死亡後、同人の債務を独りで支払つていることが認められるが、この事実もいまだ右遺産分割協議の事実を認めしめるに足らない。

(三)  その他被控訴人の主張する事実を認定するに足る証拠はない。

そうだとすれば、控訴人らの抗弁事実を判断するまでもなく、被控訴人が遺産分割協議によつて本件不動産全部の所有権を単独相続したことを前提とする限りでは本件請求は失当である。

三しかしながら被控訴人は亡熙〓の長男として右同人の遺産に対し相続持分権を有し、前記相続人の関係からその相続分は九分の一であるから、右持分権の限度で、本件不動産についてなされた控訴人らへの本件贈与登記の一部抹消を求める利益を有し、本訴請求はこの趣旨の請求を含むものと解するを相当とするので、更に判断を進める。

控訴人らは、被控訴人は控訴人ら全相続人に対し昭和四四年一月四日頃被控訴人が本件全不動産について有する相続持分権を贈与した旨主張し、証人黒川利雄、控訴人のぶ(以上原・当審)、同泉(以上当審)、証人斉藤さよの各供述中には右主張に副うかの如き趣旨の供述部分があるが、前記の如く斉藤家の長男であり、同家を終始離れたことがない被控訴人が、自己の相続分を放棄(他の相続人に対する贈与)するならば、右生家を立退かなければならない破目におち入るのであるから、被控訴人がそのようなことをするとは遽かに首肯し得ないところであり、これについてなんら右放棄を証するような文書が作成された形跡がないこと及び証人斉藤弥生(原審)、被控訴人本人(原、当審)の反対趣旨の各供述に照らして、前記控訴人のぶ本人らの各供述部分はたやすく採用することはできない。

すなわち、前掲証人黒沢利雄、同斉藤弥生、控訴人のぶ、同泉、被控訴人の各供述を綜合すると、控訴人のぶ、泉、貢らが昭和四四年一月三日頃、生家の被控訴人方に集まつた際、被控訴人妻弥生と母さよ間の不和を含めて被控訴人の家事処理を非難し、且つ被控訴人が本件不動産及び亡父の所有していた農地全部の所有名義を被控訴人が一人占めにしたことに憤慨して同人を追及し、挙句は控訴人のぶにおいて、「自分が離婚してでも、此の家に入つて斉藤家を継ぐ」等と言つたので、控訴人らと被控訴人とで喧嘩となり、被控訴人は興奮にかられて、どうにでもなれといつた気分のままに「自分は此の家を出る、財産は一切要らない。」等と放言し、その翌朝前日の喧嘩の続きとして、被控訴人は自ら印鑑証明書を村役場から取つて実印と共に前記黒沢司法書士方に持参し、同人に対して、亡父の遺産について斉藤家を継ぐ者に登記変更方を申入れたが、その時は控訴人ら間で斉藤家を継ぐ者を誰にするかの話合いが決まらないまま、登記がなされないで終つたこと、その後同年六月末頃公一が他の用にかこつけて被控訴人妻弥生から被控訴人の実印を借り出し、被控訴人が右印鑑の悪用を恐れて控訴人のぶに右印鑑返還の取計い方を要請している間に、控訴人のぶにおいて右印鑑を用い、本件不動産を相続人間に分配しておく趣旨の下に本件各贈与登記をなしたことが認められ、前掲証拠のうち右認定に副わぬ部分は採用できない。右認定事実によれば、控訴人ら主張の贈与の事実は到底これを認め得ない次第である。他に控訴人らの右主張事実を認むべき証拠はない。

四そうだとすると、被控訴人は本件不動産に対し未だ九分の一の相続分を有するわけであるから、右相続持分権の限度において本件各贈与登記の一部抹消すなわち更正登記を求め得るものと解すべく、その限度で被控訴人の請求は理由があるが自己の持分権を超えて各贈与登記の抹消を求めることは許されない。

五よつて被控訴人の本訴請求は、本件各不動産につき九分の一の持分権について本件贈与登記の一部抹消(更正登記)を求める限度において主文一の(二)ないし(四)のとおり認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであるから、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(田中永司 宮崎啓一 岩井康倶)

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